top of page
検索
山崎行政書士事務所

法の外




第一章:薄暗き町の事務所

 その町は決して活気あると言えぬほど、どこか古びた灰色に沈んでいた。商店街はかつての賑わいを失い、閉鎖されたシャッターが連なる通りには薄い埃が舞う。 わたくし――行政書士の身である私は、その町のはずれに細やかな看板を掲げている。外から見れば笑い事のような地味な小さな事務所だ。 ある冬の朝、外の風は冷たいが、まだ朝陽の射す前のうす青い曇天の下に、二人の外国人労働者が訪ねてきた。 男一人と女一人。顔つきはどこか彫りが深く、服装は安っぽい防寒着に身を包んでいた。彼らはおずおずと扉を開き、椅子に腰掛けると、か細い声で言う。「先生、わたしたち……仕事のビザが切れそうで、どうにかならないでしょうか」

第二章:貧しさが見え隠れする

 彼らが語るには、母国での貧困から抜け出すために日本へ来た。しかし在留資格が切れそうになり、延長もできなさそうだ。工場の現場仕事も契約を打ち切られ、今は“違法な”就労に片足を突っ込んでいるという。 書類上は虚偽の記載も散見される。わたくしは黙してそれを見つめ、頭で「このままでは法を犯すことに加担する」と警鐘が鳴る。 だが、ふと彼らの窶(やつ)れた頬や怯えた眼差しを前にすると、**「ただ生活を守りたいだけなのに、なぜ法がこの人々を追い詰めるのか」**と胸が痛む。 まるでシャッターの降りた商店街の前を吹きすさぶ風のように、冷たい無力感が心にこびりつく。

第三章:相談――かすかな希望

 数日後、再びやってきた彼らは鞄から皺くちゃの書類を取り出し、**「この工場で働いていたときの契約書があれば、在留資格を延長できませんか」と祈るように言った。 わたくしは否や応やなく、その契約書を開いてみる――しかしそこに記載された期限や条件は、現状を救うには不十分すぎる。 彼らの声は震え、「子どもが母国で病気です。どうしても仕送りしたいんです。先生、どうか……」とすがる。その姿は、酷く悲哀を帯びて見え、私は一瞬、法を欺く手段さえ考えそうになる。 だが、同時に頭の片隅で「それが許されるはずがない」**という理性が鋭く警告を発する。まるで冬枯れの木々が風に揺れ、枝がカサリと音を立てるように、法の冷たい規定が私を戒める。

第四章:法の正当性と人間の倫理の衝突

 困惑を抱えつつ、私は弁護士に意見を仰ぎ、出入国在留管理庁の要件を改めて確認する。結果は厳しい――彼らは既に法の外へ足を踏み入れ、取り返しが難しい段階まで来ているらしい。 わたくしの心には裂かれるような痛みがある。「法に則って善良に行動すること」が、「彼らの生活や夢を壊すこと」に繋がりかねない。 夜、事務所で資料を読み返すうちに、暗い葛藤が胸に芽吹く。もし私が法のグレーゾーンを見逃せば、彼らは救われるかもしれない。それは“善意”とも呼べるか。だが、それは同時に背徳かもしれない――。 まるで吹雪のような葛藤が心を騒がせ、窓の外の冷たい街灯の灯が、まるで嘲笑するかのように揺らめく。

第五幕:決断と、容赦なき結末

 結局、わたくしは依頼を正式に受け入れながら、しかし偽装や違法就労を助長する行為に与するわけにはいかない。**“法に従って正しく手続きを行うべき”という書類を作成し、彼らに説明する。 その書類は「国外退去の可能性」「在留資格の更新が認められないリスク」など、生々しい事実を突きつけるもので、二人は愕然とした表情でうつむく。「そんな……」**と声を失っている姿を目にすると、私も喉の奥が詰まる思いだ。 やがて、公式の審査で「在留資格延長は認められない」という回答が下され、彼らは国へ帰ることを余儀なくされる。それが法の裁定であり、私としても何もできない。 「ごめんなさい、先生。でも、あなたも自分の仕事をしたまで」――そう言い残して、彼女は涙をこらえながら背を向ける。それが最後の姿だった。

第六幕:冬の町の終焉

 それからしばらく、街の風景に変化があったわけでもない。ただ、私はこの町を歩くたび、「もしあのとき法をかいくぐる道を示していたら、彼らは救われたのだろうか」と自問してしまう。 夕暮れの薄光に染まる商店街のシャッターを見つめると、私自身の倫理観が無力にも思えてならない。「法が守ってくれるのは、誰のためのものなのだろう……」 冷たい風が肩を撫で、思わず身震いする。世界はうっすらと雪のような冷気に包まれ、街灯の下で私の影がにじんでゆく。 夜の帳が下りる頃、一人静かに事務所へ戻り、机に頬杖をついて、未完の書類を眺める。何のための正義か、何のための倫理か――どれ一つはっきりしないまま、夜は更けていく。

エピローグ

 こうして彼ら外国人労働者は去り、私は法に忠実だった“正しい行動”を取った。しかし、あの曇った瞳の不安や、一縷の希望を砕いた罪悪感が、今も私の胸を重く締めつける。 人は法を必要としながら、その法が人間の欲望や苦しみを救い切れないことに苛立ち、そして破滅するのか。 わたくしは文机に置かれた書類の山を眺めつつ、自分が守ったのは法か、それとも自分自身の矜持かと、ほの暗い心象の底で問い続ける。 ――外は寒風がしんしんと舞い、町の夜を深く閉ざす。やがて灯りが消えていく窓の向こう、誰かの影がちらりと動くが、すぐ暗闇に吞まれる。 彼らの命や希望は、この国の法の外でこぼれ落ち、私はその血を手につけぬまま、ただ眺めている。やるせない静寂が、わたくしの背後に立ち、言葉にならぬ嗤いを放つのを感じるのであった。

閲覧数:3回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page