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第一章 光浦海峡(こうらかいきょう)の夜明け
旧暦元旦を迎える深夜、光浦海峡に面した古社・**桜浦神社(さくらうらじんじゃ)**では、伝統行事の「潮満神事(しおみつしんじ)」が行われていた。あたりは異様な熱気に包まれ、夜明け前の暗闇に閃光が瞬く。数多くのアマチュアカメラマンがこの歴史ある神事を撮影しようと一斉にシャッターを切るのだ。
白い狩衣を纏(まと)った神官たちが、潮の満ちる刻を見計らい、海中へと足を踏み入れる。その姿は現代の騒がしさを忘れさせ、まるで時代が遠い古代に巻き戻されたかのようだった。海水の冷たさのためか、周囲には張り詰めた緊張感が漂っている。祭りに訪れた観光客の中には、神事の様子を食い入るように見る者もいれば、夜通しの興奮で疲れを見せる者もいた。
その日、捜査一課の都築(つづき)警部補は神社の裏手にある駐車場にいた。四年前、九州方面での重大事件――いわゆる「三池線事件」を担当して以来、地方の風習や習俗を下調べするのが趣味になっていたのだ。刑事という職業柄、全国の奇習や祭礼に興味を持つようになり、今回は初めて桜浦神社の潮満神事を訪ねてきた。
このときの都築には、彼が再び事件の渦中に立たされるとは想像もつかなかった。
第二章 弁天島の死
時刻は深夜の十一時を回った頃。桜浦神社から車で一時間ほど離れた小柏湖(おがしわこ)の湖畔に浮かぶ、小さな弁天島で一つの死体が発見される。被害者は雑誌「海洋輸送ニュース」を個人で発行していた編集人、柴田弘之(しばた ひろゆき)。彼の頭部には殴打の痕があり、遺体のそばには落ちたカメラと、女性と一緒に映った写真が散乱していた。
通報を受けて駆けつけた地元署の刑事たちは、死体発見の直前に柴田と一緒に弁天島へ渡った女性がいたという証言を得る。その女性は旅館の仲居によれば「長い髪をした二十代半ばくらいの人」で、チェックイン時はごく普通の客に見えたという。しかし、事件発覚後、その姿は spっと掻き消えたように消えてしまったのだ。
いったい柴田とこの女性は何をしていたのか。柴田が持っていたメモには、「煌星交通(こうせいこうつう)」という大手タクシー会社の内部告発を示唆する文言が書かれていた。業界紙を名乗る「海洋輸送ニュース」は、海運や輸送にまつわる不正や疑惑を追及する“危険な”雑誌という噂がある。取材で業界を揺るがすようなネタを掴んでいた可能性が高い。
しかし、肝心の女性の行方が分からず、捜査は早くも難航を極める。不可解な点が多すぎる中、柴田の交友関係に狙いをつける捜査本部は、容疑者候補の一人に「煌星交通」の専務、**合田誠二(ごうだ せいじ)**をリストアップした。
第三章 完璧なるアリバイ
合田誠二は、タクシー業界でも影響力のある実力者と目されている。特に地元の陸運局と蜜月関係にあるとの噂が絶えず、長年にわたり強引な営業戦略を進めてきたと囁かれていた。柴田が書こうとしていた告発記事には、合田と陸運局との不正契約疑惑を示す文章があったという。
ところが合田には、事件当日の夜から翌朝にかけての、盤石ともいえるアリバイが存在した。彼は潮満神事に参加しており、その様子を仲間たちと写真に収めていたというのだ。合田と付き合いの深い業界関係者が同行しており、何十枚も撮影された写真には確かに合田が映っている。境内で参拝者と会話し、終夜にわたる神事の様子を見物していたという多数の目撃証言もある。
だが、都築警部補はその話を聞いたとき、妙な違和感を抱いた。「決定的な瞬間を待つために、カメラを構えて夜通し神社に詰める」という行為は確かにあり得る。しかし、合田がそこまで“熱心な写真愛好家”である証拠は何もない。それどころか、潮満神事に合わせて泊まったという旅館の部屋には、当日合田が急きょ手配したとみられる領収書があった。事前から熱心に準備していた風ではない。どうにも腑に落ちない――。
第四章 消えた女性と光浦署の老刑事
一方、弁天島での捜査にあたった地元警察署には、ベテラン刑事の**藤枝(ふじえだ)**がいた。彼は都築とともに数年前の「三池線事件」を追った経験があり、以降交流を続けている間柄である。柴田殺害の一報を聞いた都築は、改めて藤枝に協力を仰いだ。
「弁天島で一緒にいたはずの女性は、一体どこへ消えたのか。柴田を殺す動機がある人物は誰なのか。合田誠二のアリバイに嘘や矛盾はないのか」
こうした疑問を整理するうち、都築と藤枝は**潮満神事の最中に神社と弁天島を往復できる“時間の盲点”**が存在するのではないかという仮説にたどり着く。
神社周辺は深夜から未明にかけて見物客でごった返しているが、その裏手には古い街道や林道が続いており、車でうまく走れば湖の近辺まで短時間で往復できそうだ。さらに、潮満神事のクライマックス付近、混雑が最高潮に達するときこそ、逆に人目が散漫になりやすいという。合田ならタクシー会社のネットワークを利用して、極秘裏に素早く移動する手立てを持っている可能性が高い。
第五章 決定的瞬間を捉えた一枚
都築は、被害者・柴田が持っていたカメラからフィルムを回収し、専門のラボで現像させた。その中には弁天島での夜景や湖面の写真が数枚。そして決定的だったのは、柴田が最後に撮影したと思われる一枚のネガ。そこには、暗闇の中で不自然に顔を逸らす男性の横顔が映し出されていた。その体格は合田を連想させるものであり、事件の時刻とも矛盾しない時間帯に撮られた可能性が高い。
さらに、周囲の風景を拡大すると、車のナンバープレートのようなものがわずかに写り込んでいた。最新の捜査技術で解析した結果、それが「煌星交通」の車両番号であることが判明する。もはや合田の関与は決定的となった。
捜査本部が合田の身柄を確保しようとする矢先、藤枝から報告が入る。**「行方不明だった女性が、なんと桜浦神社近くの林道で発見された」**というのだ。だが、すでに遺体となっていた。首を絞められた痕があり、衣服の乱れから見るに激しく抵抗した形跡がある。どうやら柴田殺害の目撃者であるがゆえに口封じをされたのだろう。二つの殺人事件が繋がり、合田への疑惑はより一層確信へと近づいていった。
第六章 狂気の果て
証拠を集めた都築と藤枝は、潮満神事で撮影された数々の写真や、合田が密かに移動したであろうルートを洗い直す。すると、藤枝は合田が事前に「儀式の初めから終わりまで、必ずこの目で見届けたい」と社員に繰り返していたという証言を得た。合田がやたらと強調していたのは、自分が“ずっと神社にいた”というイメージを周囲に埋め込むための演出ではないか。
追い詰められた合田は、捜査陣が自宅マンションに踏み込む直前、地下駐車場から車で逃走を図った。都築と藤枝はパトカーで追跡し、海峡沿いの断崖上で合田の車を包囲する。そこで合田は車から降り、拳銃を手に「自分は無実だ」と叫ぶ。だが、その声にはもはや理性を感じられなかった。
藤枝が説得を試みるものの、合田は銃口を向ける。咄嗟に都築が身を投げ出し、激しい銃声が闇夜に響いた。藤枝が被弾し、血を流して崩れ落ちる。絶句する都築の目の前で、合田はまるで何かから解放されるかのごとく、闇へ身を躍らせた。断崖下は満ち潮で荒れ狂う海峡。あたりには警察のサーチライトが照らすが、合田の姿は黒い波間に呑まれていった。
第七章 血に染まる夜明け
銃弾を受けた藤枝は意識不明の重体に陥る。都築はショックと無力感に苛まれつつ、必死に救急車を呼び、救命処置に当たった。やがて夜が白む頃、海峡に朝日が差し始める。だが、その光はあまりにも容赦なく、前夜の惨劇を照らし出すだけであった。
柴田と謎の女性、そして弁天島に散らばる血と闇。潮満神事が本来もたらすはずだった清浄な時間は、二人の死者と一人の逃亡(あるいは自死)によって穢されてしまった。
都築はパトカーの赤色灯と救急車のサイレンが鳴り響く光景を眺めながら、思わず唇を噛み締める。「どれほど真実を暴いたところで、どうしてこうも救いがないのか……」。
光浦海峡に射す朝日が、かつての厳かな潮満神事の風景を浮かび上がらせる。あの幻想的だった夜の儀式が、皮肉にも邪悪な犯罪の隠れ蓑として利用されてしまったのだ。
こうして、タクシー業界の闇と内部告発を巡る殺人事件は、結末さえも曖昧なまま幕を下ろした。合田の遺体は結局上がらず、藤枝は救命手術の甲斐なくその翌朝に息を引き取った。残されたのは、希望も救いも感じさせない、重苦しい喪失感だけだった。桜浦神社の潮満神事は今年も無事に終わったと記録されるだろう。しかし、その夜に流された血と命の物語は、この海峡に永久に染みついてしまったのである。
あとがき
本来「旅」とは新鮮な土地の文化や風習と出会う行為であり、人の心を豊かにするものだ。しかし、この物語では「潮満神事」という古来の神事が、むしろ犯罪の舞台と化してしまう結果となった。
現代社会において、移動の自由や交通インフラの発達は人々の生活を支える根幹であるが、そこに生まれる権力や利権は、時に邪悪な欲望や陰謀を呼び寄せる。かつて担当した事件(「三池線事件」)でも、都築警部補は同じような構図を目の当たりにしたが、それを否定できない世の不条理がまたしても悲劇を呼んだ。
人間の心の奥底に潜む闇はいつの時代も消えず、それを封じ込めようとする習俗や祭礼さえ利用されてしまう。光浦海峡に立つ桜浦神社の文学碑に刻むならば、こう記すほかない――
「神官の白衣が揺れる夜明けの海に、二つの凶行の記憶が漂う。
時間は神聖なるはずの儀式を貫き、
それでも人は、過ちと欲望から逃れられない。」
古より続く潮満神事の清浄な空気と、現代の闇の交錯。それがもたらす悲劇的な結末は、二度と訪れないはずの新年を血に染めた。
読者の胸に、この物語が何を残すのか。それは、光浦海峡の風とともに消えてしまうのかもしれない。しかし、夜明けの海に立ち込める余韻は、いつまでも我々に問いかけているように思えてならない――「人間とは、かくも業深い存在なのだろうか」と。
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