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潮燐の楔

山崎行政書士事務所



序章 滲みゆく兆し


 春先の光浦海峡は、少しずつ暖かな風を帯びながらも、夜になると冷えこむ不思議な季節感を漂わせていた。 最近、この海峡の周辺では港湾拡張計画が本格的に動き出し、かねてから名の挙がっていた「天洋コンツェルン」の重機や作業船が次々と到着している。誰もが不安に駆られつつも、反対の声は少ない。以前まで暗躍していた緑陽交通・日邦建設の影が薄れ、代わりに“巨大企業”の名で塗り替えられていく構図が見え隠れしていた。 一方、地元の古社・**桜浦神社(さくらうらじんじゃ)**では、旧暦元旦に行われる「潮満神事(しおみつしんじ)」を無事に乗り越えたばかり。年に一度の神事が終われば、境内はしばし静寂の季節を迎える。 だが、その静寂がいつまでも続くわけではない。過去四度にわたり、この地を血に染めた陰謀と殺意は、形を変えて今も潜んでいる――そんな不安が、人々の心にわずかに滲んでいた。

第一章 都築(つづき)の再訪

 警視庁捜査一課の都築警部補は、かつての事件(合田誠二、笹川、秋津、そして失踪事件など)を経て、何度目かとなる光浦への出張命令を受けていた。表向きの名目は“港湾拡張に伴う地元治安調査”。しかし都築は感じる――これは明らかに「上」の差し金だ。 「新たな騒動を未然に防げ」という建前か、あるいは「大きな利権を掘り返すな」という圧力が働いているのか――どちらにしても嫌な予感が拭えない。 久しぶりに降り立った光浦駅のホームには、潮の香りが混じる春の風が吹き抜ける。出迎えた地元署の大迫(おおさこ)刑事は、旧友に会うかのように安堵の笑みを浮かべるが、その表情にはどこか影が差していた。 「都築さん、お元気そうですね。実は……港湾拡張の影で、また妙な事件が起こり始めているんです」 大迫の声には深刻さがにじむ。案の定、ただの“調査”では終わらない予感が、都築の胸を重くする。

第二章 漏れ始めた告発

 大迫が「妙な事件」と呼ぶものは、港湾拡張に参加している下請けの作業員たちの不可解な失踪や、建設資材の横流し疑惑など、多岐にわたる。警察には内部告発めいた情報が断片的に寄せられているが、裏どりが追いついていないという。 そこには、天洋コンツェルンという巨大企業の名がちらつく。だが、噂どおりに政界・官界との繋がりが強いとすれば、下手な捜査は圧力に潰されかねない。 「実は、一週間ほど前に**“原田(はらだ)”**という天洋コンツェルン関連会社の若い社員が、うちに駆け込んできて『大変な不正を見てしまった、助けてほしい』と言ったんですよ」 大迫は当時のメモを都築に見せるが、そこには「密輸」「陸運局の協定」「市議会への贈賄」といった不穏な単語が並んでいる。しかし原田はそれ以上は語らず、「後日、証拠を持ってくる」と言い残して姿を消してしまったという。 都築はファイルをめくりながら、「その原田が失踪した可能性は?」と問う。大迫は難しい顔でうなずく。 「連絡先は虚偽で、職場を突き止めようにも“そのような者はいない”と門前払い。どうやら内部告発しようとして、偽名を使ったかもしれません」

第三章 神社への寄付金

 桜浦神社を訪れた都築と大迫は、宮司から意外な話を聞かされる。ここ数ヶ月、天洋コンツェルンから“多額の寄付金”が相次いで届けられているというのだ。 「当社は何も希望していないのですが、“地域貢献の一環”ということで、断りきれず……。しかし、これまでの経緯を踏まえると、私どもも不安があります」 思い返せば、緑陽交通や日邦建設も“神社保全”を名目に工事を進めた過去がある。今回も同じ構図ならば、神事を形だけ保護しておきながら、実際には港湾拡張で大きな利益を得ようと目論んでいるのではないか。 都築は境内の裏手に回り、傾きかけて補修された文学碑を見上げる。合田誠二や笹川、秋津――幾度となくこの場で血が流され、数々の“証拠”が闇に葬られてきた。 その脇には、まだ祈りを捧げるように花束が置かれている。生々しい悲劇の歴史を思い出し、都築は重苦しい気分に囚われる。 「形を変え、名を変え、人が変わっても、ここを舞台にした陰謀は決して終わらないのか……」

第四章 漁港の夜に鳴る銃声

 調査を続けるうち、都築と大迫は「夜中の漁港付近で、不審な貨物の積み卸しがある」という噂を聞きつけ、夜間張り込みを試みる。そこは、旧来から桟橋が延びる小さな漁港で、港湾拡張計画の正式な工事エリア外だった。 深夜、闇に沈む漁港には、見慣れないトラックが停まっていた。ヘッドライトを切り、静かに貨物を移し替えているようにも見える。都築たちが様子を窺っていると、遠くから金属がぶつかるような音が聞こえ、それに続いて銃声めいた音が響いた。 「……!」 急いで駆けつけるが、すでにトラックは走り去り、辺りには倒れた男が一人。幸い致命傷は避けられたようで意識は残っている。大迫が懸命に声をかけると、男はかすれた声で「くそっ……密輸がバレた」と呟き、すぐに気絶してしまった。 駆けつけた救急隊が男を救護するなか、都築は銃弾らしきものが地面に転がっているのを発見する。日本国内での銃の流通は厳重に規制されているはずだが、こうして実弾が飛び交う状況は尋常ではない。 「貨物の中身は一体何だったのか。そして、この男は誰に撃たれたのか……?」 またしても闇の気配が濃厚に漂っていた。

第五章 匿名の情報提供者

 漁港の“銃撃事件”が警察内部で取り扱われると、たちまち上層部から「大事にするな」とのお達しが下りる。事件性を否定し、被害者は「単なる傷害事件」として処理するかのような動きが見える。 一方、被害者の男は重傷で意識が戻らず、身元も未確認のままだ。都築と大迫は、上層部の不自然な反応に疑念を抱きながら、独自に弾丸の鑑定を進める。 そんな折、匿名のメールが都築の勤務先アドレスに届く。そこには「先日の漁港での銃撃は“天洋コンツェルン”と陸運局が関係している。奴らは港湾拡張を隠れ蓑に、密輸ルートを構築している可能性が高い。警察上層部にも内通者がいる」と記されていた。 「やはり……」と都築は唇を噛む。政界や官界、さらには警察内部までも抱き込んだ巨大企業の暗部――それが、かつての緑陽交通や日邦建設以上に巧妙かつ大胆な手口を用いているのかもしれない。 大迫は「原田という名の内部告発者が現れないのも、彼が組織から追われているためでは?」と推測する。もしも原田=今回の“匿名メール”の送り主だとすれば、捜査に協力しようとしているが、命の危険が迫っているのだろう。

第六章 意外な再会

 その後、港湾拡張の作業現場を視察していた都築と大迫は、かつて秋津(あきつ)らが仕えていた日邦建設の社員だった**木澤(きざわ)**という人物に再会する。木澤は日邦建設が光浦から撤退した後、天洋コンツェルンの関連会社へ転職していた。 「警部補さん、お久しぶりですね。ここはスケールが違いますよ……天洋コンツェルンは半端じゃない金と権力を持っています。私も下手に逆らえない立場でして」 どこかやつれた様子の木澤だが、その視線には一瞬、警告めいた意図が見えた。都築が「あなたは何かを知っているのでは?」と問うと、木澤は苦笑して首を振る。 「命が惜しいですよ、私も。それに、もう同じ轍を踏みたくない。秋津さんのように悲惨な最期はごめんですからね……」 そう言うと、足早に立ち去ってしまう。だが、口調の端々から察するに、木澤もまた天洋コンツェルンの闇を垣間見つつあるようだった。 都築はため息をつきながら、大迫に視線をやる。「このままでは、また誰かが命を落とし、証拠は消されるだけだ……」

第七章 血塗られた倉庫

 夜、都築と大迫のもとに木澤から短い電話が入る。「明日、旧倉庫地区で話したいことがある」と。あの漁港に近い倉庫群が再び舞台になるのか――二人は警戒しつつも、チャンスを逃すわけにはいかない。 だが、翌日の待ち合わせ時刻に倉庫へ駆けつけると、薄暗い建物の一角で木澤が倒れているのを見つける。胸には鋭い刃物で刺された痕があり、既に事切れていた。近くには何も書かれていないメモ用紙だけが落ちている。 やはり、真相を知る人物は容赦なく消されてしまうのか。 都築は拳を握り締め、叫びに近い声を上げる。「木澤さん……! 教えてくれようとしたのに……」 大迫があたりを捜索しても、不審な影はすでにない。唯一見つかったのは、木澤の携帯電話が倉庫の隅に転がっていたこと。だが、電源は切れており、画面にはパスワードロックがかかっている。 その瞬間、都築は思い出す。かつて「原田」と名乗る内部告発者が「後日、証拠を持ってくる」と語ったのも同じように姿を消した。「もしや、この携帯に何か手掛かりがあるかもしれない」と。 しかし、警察に回すには上層部の目が光っている。都築と大迫は、秘密裏に端末解析の専門家を探すことを決意する。

第八章 明かされた動画ファイル

 独自ルートで携帯電話のロックを解除し、内部データを復元すると、一つの動画ファイルが出現した。そこには木澤が自撮りのような形でカメラに向かい、低い声で告白する姿が映し出されている。 「天洋コンツェルンは、実は港湾拡張をダシにして密輸ルートを構築しています。海からのルートだけではなく、陸運局と結託し国内輸送網も手中にしようとしている。過去に緑陽交通が培ったルートを吸収した形だ……」 さらに、陸運局や地元政治家との贈収賄らしきリストの断片を画面に掲げ、「このリストは社のシステムからコピーした。私が消されるようなことがあっても、どうかこのデータを世に出してほしい」と懇願する。 都築と大迫は震える思いでそれを視聴する。これこそ決定的な証拠になり得る――だが、過去の経験から言えば、この手の“告発ファイル”は絶対に上層部へ直接持ち込んではならない。下手をすれば握り潰され、もみ消されるのがオチだ。 「どう動くか……」二人は頭を抱える。過去に何度同じような局面で資料を失い、関係者が消されてきたか。今回こそは真相を暴けるのか、それとも……。

第九章 燃え上がる埠頭

 悩む都築と大迫のもとに、再度匿名のメールが届く。「明晩、拡張工事用の埠頭付近で大きな取引が行われる。証拠を掴むラストチャンス」と書かれている。 その言葉を信じるなら、動画ファイルの存在を裏づける“現場”を押さえられるかもしれない。しかし、あからさまに罠の匂いもする。 それでも都築と大迫は決行を決め、夜の埠頭へ向かう。遠くに重機の影が見え、強いライトが照らす人工島のような一角が闇に浮かんでいる。 ところが、しばらく偵察しているうちに突如として爆発音が響き渡り、大きな炎が立ちのぼった。保管されていた資材か燃料タンクが爆発したらしい。周囲は阿鼻叫喚となり、取引どころではない大混乱が生じる。 都築と大迫が消火を手伝おうにも、火勢が激しすぎて近づけない。やがて消防車が駆けつけるが、炎は夜空を焦がしながら半径百メートルほどをすべて呑み込んでいった。 ――まるで、証拠を根こそぎ焼き尽くすかのような壮絶な火災。そこには、もはや人影も見えない。密輸品も機密書類も、あるいは人質や告発者たちも、一緒に炎に消されてしまったのだろうか。

第十章 終わりなき闇の軌跡

 埠頭火災は翌朝になってようやく鎮火し、周囲は焦げ跡と白い煙に覆われていた。警察の公式見解は「事故による火災」とされ、メディアも港湾工事の安全管理不足を軽く報じる程度で、真相にはまったく触れない。 都築と大迫は辛うじて死者の確認などを試みるが、身元不明の焼死体が数体見つかっただけで、組織的な犯罪を裏づける証拠はすべて灰と化していた。 木澤の遺した動画ファイルが唯一の突破口かと思われたが、警察上層部は「違法な手段で入手されたデータは証拠能力が乏しい」と難色を示す。さらには捜査一課を通じて「社内システムの情報流出を取り締まれ」という要請まで飛び出す始末だ。 「結局、今回も同じか……」大迫が声を落とす。「告発する者は殺され、証拠は焼かれ、我々の捜査はまた振り出しに戻る――」 海峡では朝日の下、天洋コンツェルンの作業船が黙々と動き出す。その光景は、闇に満ちた惨劇など全くなかったかのように、淡々と進行する“新時代の港湾建設”を象徴している。 都築は崖の上からその様子を見下ろし、静かに呟く。「どれだけ闇を照らそうとしても、すべてを呑み込み、姿を変えて蘇る――いつまでも、同じ構図が続くのか」。 今回もまた、光浦海峡に立ち込める潮風は、染みついた悲劇と不条理を運びながら、悠然と吹き渡っている。清浄な潮満神事が行われるこの地が、何度でも罪の舞台に利用される――その事実に、都築の胸は重く痛んだ。

あとがき

 今回の物語「潮燐の楔」では、前作『潮闇の彼方』の流れを受け、さらなる巨大組織“天洋コンツェルン”が登場し、港湾拡張計画を裏で牛耳る姿が描かれました。 かつて緑陽交通や日邦建設が企てた陰謀が、新たな企業に吸収され、より大きな利権や権力を取り込んでいく構図は、まさに社会派のテーマ「形を変えて連鎖する腐敗」を象徴しています。 都築や大迫たち捜査陣は、懸命に闇へ迫ろうとするものの、またしても証拠は燃え尽き、口封じの被害者は後を絶たず、上層部からの圧力も強まる一方。結果として、核心には手が届かないままに終わる――という苦い結末となりました。 しかし、木澤が命を賭して残した告発動画や、失踪中の原田(偽名)と思われる内部告発者の存在は、わずかながらの希望を孕んでいます。「いつか、この歪んだ構造を暴けるかもしれない」という想いが、今回もまた読者の胸に残響として刻まれるでしょう。 光浦海峡の美しくも悲しい夜明けを背に、都築は事件の度に悔しさを噛みしめる。それでもなお、捜査官としての使命感に突き動かされ、あくまで闇に抗う姿が、社会派推理の醍醐味とも言えます。 本当に闇を暴ける日は訪れるのか。それとも、この地は永遠に血の記憶から逃れられないのか――「潮燐の楔」として突き立った陰謀の余韻が、読後もしばらく消えぬまま、物語は幕を下ろします。

(了)

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