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とある休日

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月16日
  • 読了時間: 7分



「よし、喉の調子は悪くないな」

 土曜の朝九時。都内のマンションの一室で、男は鏡を前に発声練習をしていた。名を丸山健太。行政書士でありながらバリトン歌手、そしてエンジニア兼アニメーター――多彩な肩書きを持つ男だ。聞けば最近はITコンサルとしても活動を始めたというのだから、その守備範囲の広さには驚くばかりである。

 部屋には彼が舞台で使用する楽譜や、アニメ制作の絵コンテ、さらにはノートPCが複数台。行政書士としての書類もさることながら、エンジニアリング関連の技術書やITシステムのマニュアル、色とりどりのアニメ関連資料――いずれも、ただそこにあるだけで終わらず、丸山自身が常時使いこなしている道具だ。

 「今週末こそ休みを取りたいが、そうもいかないか」

 とつぶやきながらも、彼の目はどこか楽しげだった。週明けにはオペラの通し稽古が控えており、舞台俳優として妥協は許されない。一方で、エンジニアチームからは休日にもかかわらずバグ報告が飛んできているし、アニメ制作プロジェクトでは締め切りの迫る作業がいくつも残っている。そのうえ、クライアントからITコンサルに関する打診があれば即対応だ。スケジュールは分刻み、綱渡りの日々と言っていい。

 「はぁ……でも、やるしかないな」

 大きく息を吸い、発声を始める。9時からの練習は彼の日課の一つ。ゆっくりと喉を温め、もう一曲アリアを歌うころには部屋いっぱいに豊かなバリトンの響きが広がる。その声量に呼応するかのように、机の上に置かれたスマホが振動した。

 「もしもし――」

 相手はエンジニア仲間だった。さっそく不具合の連絡である。

 10時からはオペラのリハーサルがある。会場は市内の小さなスタジオだ。来週の舞台通し稽古に向けて、演技や動き中心の練習が組まれている。丸山は出番以外の時間を縫って、ノートPCを開いてコードをデバッグしたり、アニメ制作用のソフトを起動しては動画チェックを進めたりしていた。

 「すみません、今の立ち位置はもう少し右手に寄ってください」

 ピアノ伴奏で合わせをする演出家の声が響く。丸山が動きを修正するのと同じタイミングで、PC画面にエラーのログが流れる。システムのCI/CDパイプラインが不具合を起こしたらしい。黙っていても放置すればプロジェクトが止まりかねない。ほかのキャストに迷惑をかけないよう、控え室に移動してすばやく調査を開始する。

 そんな姿に、端から見れば「休日くらい休めばいいのに」という声が聞こえてきそうだが、丸山に言わせれば「自分が好きでやっていることだ」という。歌い、演じる高揚感。問題を解決し、成果物をクリエイトする充実感。二つが絶妙に混ざり合い、彼の人生をきらめかせているのだ。

 12時半、ひとまずリハーサルが一段落すると、丸山は持参した弁当を開く。スタジオの隅でささっと食べながら、アニメ制作の進捗をチャットツールで確認。絵コンテや作画指示に気になる点があれば、担当アニメーターに追加要望を送る。一方で、行政書士として取り組むべき書類も山積みだが、こちらは急ぎのものだけチェックしておく。何事も優先順位が大事、そう丸山は割り切っていた。

 「よし、落ち着いた。あとでちゃんと手続き書類も確認しなきゃな」

 13時半になり、いつものジムへ向かう。昼からのトレーニングは歌の体調管理において欠かせない。筋肉痛が酷くなれば声に影響が出るし、体幹がぶれれば舞台上のパフォーマンスに差が出る。 だがその最中も、スマートウォッチにはエンジニアチームやアニメの作業メンバーからの連絡が止まらない。丸山はインターバルの合間に、操作しやすいイヤホンで短いメッセージを吹き込む。専門家同士だからこそ、言葉数は最小限で要点だけを伝えれば済むのだ。それが丸山流の「並行作業術」だった。

 15時半。ジムの後は本業の定例ミーティングだ。 「すみません、僕は少し時間が限られていますので、要点をまとめていただけると助かります」 そう切り出して、エンジニアチームのコードレビューを進める。バリトン歌手としてだけではなく、ITコンサルとしてクライアントをサポートする場面もある。要望整理、システム導入の企画提案、スケジュールの再調整――どれも、丸山の守備範囲だ。アニメーターとして参加している別プロジェクトのミーティングにも飛び入りし、キャラクターデザインや背景美術の進行を把握。 周囲は「本当に全部きちんとできるのか」と半信半疑だが、丸山は周到にタスク管理ツールを駆使していた。先回りして情報を共有し、効率を最大化する。そうしなければ、とてもこのスケジュールはこなせない。

 16時、ひとまず仮眠を取ることにした。 「仮眠が僕を救うんですよ」 というのが丸山の口癖だ。実際、頭脳労働にも歌のパフォーマンスにも、短い昼寝が大きく影響する。スマホをバイブレーションに設定し、目を閉じる。一瞬の沈黙の中、頭は自然と落ちていく。そこで休むのも仕事のうち。そう割り切って考えるあたりに、丸山のプロ意識の高さがうかがえる。

 17時、目を覚ますと、すぐに夕食へ。栄養をとりつつ、プロジェクト管理ツールのタスク更新を確認する。誰かが新たなタスクを追加しているか、期限を延ばしていないかをチェック。アニメ制作の担当スタッフから届いた素材に目を通し、リテイクの指示が必要かどうか判断する。

 「はいはい、そこは後ほど連絡しますね」 と、オンラインで短く応じ、食事を一口。行政書士としての業務は、少し落ち着いているようだが、いつ緊急案件が飛び込んでくるかは分からない。油断はできないのだ。

 18時、リハーサル会場へ向かう道すがら、丸山はスマホに視線を落とした。エンジニアリングのチャットルームでは、バグ修正の報告が上がっていた。アニメーションチームからは色指定の変更依頼がある。ITコンサルのクライアントからは新たなプロジェクト相談が飛び込んできていた。 「あはは……さて、どれから片付けようか」

 丸山は苦笑いしながらも、その瞳には闘志が宿っている。忙しさに追われるより、忙しさを制するつもりでいるのだ。

 19時、オーケストラとの合わせ。 午前中はピアノ稽古だったが、夜はフルオーケストラの音圧が舞台を包む。バリトンとして求められる声のボリューム感や響きが違ってくるため、丸山は全神経を研ぎ澄ませた。 休憩時間になると、彼はスマホを取り出し、メッセージを確認。アニメーターとして使うソフトのアップデート情報、エンジニアとして導入を検討しているツールの問い合わせ――これらが次々と届いているが、リハーサル本番中はひとまず脇に置き、歌に集中。

 22時半、リハーサルを終えて帰宅。 丸山はまず温かいお茶を口に含む。飲み込んだ瞬間、じんわり喉に染み込む温もりがたまらない。そして改めてPCを開く。アニメの絵コンテや動画ファイルをチェックし、エンジニア業務の不具合やタスクを消化する。ITコンサルの問い合わせはどうやら急を要さないらしく、週明けの朝イチに対応で済みそうだ。 「今日も一日、お疲れさまでした」

 誰に向けるでもない言葉を、丸山は口の奥で小さくつぶやいた。わずかな睡眠しか取れず、激務とさえ言えるスケジュールをこなしても、彼の心には清々しい達成感が宿っている。

 舞台の幕が上がれば、最高の声を響かせる。その裏では、緻密なコードを組み、アニメのキャラクターに命を吹き込み、ITコンサルで企業の課題を解決する――。 小説に出てくる熱きサラリーマンが、困難や組織の壁を突破していくように、丸山は複数の肩書きを武器に、どんな依頼にも自ら飛び込んでいく。追いつめられても、舞台の上で満面の笑みを浮かべるのだろう。その笑顔は、きっと彼自身の強さを証明している。

 そして翌朝、また新しい一日が始まる。彼が発声練習に取りかかるその頃には、すでに新たなトラブルや依頼が動き出しているのかもしれない。しかし、彼なら平然とそれらすべてを受け止めるに違いない。 なぜなら、忙しさを言い訳にせず、やりたいことをやり抜くのが丸山健太という男の生き方だからだ。

 
 
 

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