パナコの青春 ― 再会の風音
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 6分

春の風が、桜の花びらを優しく舞い上げる頃。四人がそれぞれの道へと散ってから、季節はひとつ巡り、静岡の街にもまた春がやって来た。 新生活を始めてからの慌ただしい一年は、彼らにとって未知の挑戦や出会いと別れの連続だった。それでも、あの「静岡パナコ」のビルを見上げると、ふと懐かしい日々の記憶がよみがえる――屋上での初ライブ、ハロウィンやクリスマス、そして卒業前夜の演奏。
四月の終わり、東京の大学に通う颯太(そうた)は、一限の講義を終えて駅へ向かう途中、スマートフォンに届いたメッセージを見て足を止めた。「久しぶりに、みんなで集まれないかな」 差出人は、短大を卒業して地元で就職が決まった麻里(まり)。その画面を見つめるうちに、高校時代の記憶が鮮やかに蘇る。
日々の課題に追われながらも、サークルでバンドを組み始めた颯太は、東京の街での刺激的な音楽シーンに触れていた。初めてのライブハウスでの演奏、同じ志を持つ仲間との出会い。けれど、本当に熱くなれる瞬間はいつも「あの頃」に通じる気がする。「地元に帰る予定はないけど、もし再会するならぜひ行きたい」 そう返信を打ち込み、胸の奥が少し高揚するのを感じた。――あの音、あの仲間との一体感。またいつか同じ空気を吸いながら演奏できるのなら。
一方、静岡に残った麻里は、新卒として働き始めた職場に少しずつ慣れながらも、忙しい日々を送っていた。朝早く出勤し、夕方にはクタクタになって帰宅する。ベースケースに触れる時間は激減し、指先の感覚も鈍ってしまった気がする。 そんなとき、ふとスマートフォンに目をやり、連絡先の履歴に残る「陽菜(はるな)」「真司(しんじ)」「颯太」という懐かしい名前を眺めるのが習慣になっていた。「久しぶりに、みんなで集まれないかな……」 衝動的に送ったメッセージ。それは自分自身への問いかけでもあった。――新しい環境に飛び込んだばかりで戸惑いながらも、「あの頃の音」をもう一度感じたいという切実な想い。
専門学校でサウンドエンジニアリングを学ぶ**真司(しんじ)**は、学校のスタジオに籠もって機材を触る日々だ。あの頃は何も考えずに叩いていたドラムも、理論や録音技術を知るにつれて、世界が広がっていくのを感じる。 とはいえ、追いつめられるほどの課題とアルバイト漬けのスケジュールは、かつてのドラムの楽しさを少し奪いかけていた。 そんな真司の手元にも、麻里からのメッセージが届く。「……みんなで集まる? 面白そうじゃん」 思わず口元がほころぶ。ライブへの衝動がむくむくと沸き上がり、スティックをクルクル回しながら「ぜひやろう」と短い返信を送った。
さらに、大学で音楽サークルを楽しみながらも新しい友人たちに囲まれ、充実した毎日を送っていた**陽菜(はるな)**のもとにも連絡は届いた。「また、みんなで音を合わせる……?」 最初は信じられない気持ちだった。別々の場所で、それぞれの道を歩んでいる。簡単にタイミングが合うはずがないと、どこかで諦めていた。 だけど、スマホに浮かぶメッセージのやりとりは、意外なほどスムーズに再会への道をつないでいく。進路や時間、そして場所の都合。みんな大変だけど、少し先の連休ならなんとかなるかもしれない――そんな希望が膨らんでいった。
そして迎えた五月の連休。 新緑が鮮やかに彩る静岡の街へ、東京や隣県から少しずつ帰省してくる若者たち。東海道線のホームには、地元に戻る学生の姿が多く見られる。颯太もまた電車を乗り継ぎ、懐かしい駅へと降り立った。 駅ビルの改札を抜けると、昔から変わらない「静岡パナコ」の看板が遠くに見える。あのころの記憶がまた呼び覚まされるようで、胸がきゅっと締まる。
待ち合わせ場所は、パナコのすぐ近くにある小さなライブハウス。地元の若者が集う隠れ家的な場所らしく、真司の専門学校の知り合いの紹介で、夕方から数時間だけ貸し切りができるという。 ドアを開けると、ひんやりとした空気と軽い暗がりが広がり、奥には簡易ステージと機材が並ぶ。すでに到着していた真司がこちらを振り向き、スティックを上げて合図する。「よっ、久しぶり」
すぐ脇には麻里がベースケースを立てかけ、少し不安そうな笑みを浮かべている。少し遅れて陽菜もギターを抱えながら扉を開けた。照れくさそうに微笑み合いながら、軽く挨拶を交わす四人。その姿は、あの高校時代の屋上ライブ前にそわそわしていた頃とまるで同じだ。
「さすがに曲は覚えてないかも……」 麻里がベースの弦をぽん、と叩いて苦笑する。真司は「いや、俺も怪しい」と笑い、颯太は「でも、なんとかなるんじゃない?」と控えめに言う。 陽菜はアンプにシールドを挿し込みながら、アコースティックギターではなくエレキギターを手に取った。「じゃあ――合わせてみよう。久しぶりに」
最初は小さく鳴らすコードとリズム。手探りで記憶を辿りながら、懐かしのフレーズを呼び戻すように演奏していく。音のズレもあるし、息が合わないところも多い。けれど、少しずつ体の奥から「青春の記憶」が蘇りはじめる。 真司のドラムが拍を強め、麻里のベースが低くうねり、颯太のキーボードがメロディを彩る。陽菜のギターは、かつての屋上で感じた風を思い出すように空気を震わせた。
――ぎこちなさの向こうに、確かに彼らのハーモニーが存在している。 一曲が終わると、ライブハウスの薄暗い空間に余韻だけが広がる。顧客も誰もいない、ほんの数人だけの特別な空間なのに、胸がこんなに高鳴るのはなぜだろう。
「……なんだか泣きそうになった」 陽菜が小声で呟く。麻里は疲れたように笑いながらも、同じ気持ちを噛みしめるように弦を撫でている。真司はスティックをクルクル回し、「カッコ悪いところ、たくさんあったな」と照れ隠しに呟く。 けれどそれを否定するように、颯太が静かに言葉を足した。「久しぶりだからこそ、すごく新鮮だった。……やっぱり音楽っていいね」
演奏がひと段落すると、四人は楽器を片付け、一息ついて狭いソファに腰を下ろす。ひんやりとした空気の中、外の夕陽が扉の隙間からオレンジ色の筋を作っていた。「ねえ、これからもさ、たまには集まって音合わせようよ。せっかくこんな感じで再会できたし……」 麻里が遠慮がちに提案すると、真司は「俺はいつでもいいよ」と即答する。颯太も「そっちのタイミングに合わせるよ」と微笑み、陽菜は「楽しそう!」と声を弾ませる。
――それぞれが抱える忙しさや、これから待ち受ける新たな試練。それはきっとこれまで以上に大きいかもしれない。けれど、こうして会おうと思えば、いつでも思い出を更新することができる。
そんな未来の約束を胸に抱きながら、四人は再び外の街へ足を踏み出した。すっかり日が落ち、静岡パナコの看板が夜空にぼんやりと浮かんでいる。かつてと同じように、あの灯りは変わらず街を見下ろしているのだ。
「じゃあ、またね!」 笑顔で手を振り合いながら、彼らはそれぞれの帰り道を歩いていく。夜の風はまだ少し冷たいが、心には確かな温もりが残っている。あの屋上で始まり、いくつもの季節を超えてきた「パナコの青春」は、また一つ新しいページをめくったのだ。
――遠くで風が吹き抜ける音が聞こえる。春の終わりと初夏の入り口が交錯するように、静岡の街には穏やかな夜が訪れはじめていた。パナコの看板が青白い光を落とす下、かつて「青春」を鳴らした四人の足音は静かに散っていく。だが、その音の余韻は決して消えず、これからも彼らの未来を優しく照らし続けるだろう。
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