パナコの青春 ― 夜明けのレゾナンス
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 7分

新しい季節の気配が、静岡の街に忍び寄りつつあった。夏の記憶が遠くに霞み始め、夕方の風は少しずつ冷たさを帯びている。街路樹の葉が色づき、オレンジや赤、黄色が賑やかに秋の訪れを告げる頃――高校二年生の彼らは、商店街のハロウィンイベントに向けて、休む間もなく準備を続けていた。
バンドメンバーの陽菜(はるな)、真司(しんじ)、麻里(まり)、そして颯太(そうた)。 彼らがあの夏、静岡パナコの屋上で初ライブを行ってから、時は経った。以前はばらばらだった気持ちが、いつの間にか音楽を通じて確かな絆を紡いでいる。だが、それぞれに日常の重みがあり、未来への不安がある。そんな彼らを、このハロウィンイベントのステージが再びひとつに結びつけようとしていた。
ある土曜日、街の図書館の一室を借りて行われたミーティングで、陽菜がマップを広げながら説明する。「商店街のメインステージは、駅から少し離れた広場の特設会場だって。で、私たちの出演時間は夕方の五時半。ちょうど薄暗くなり始めるころかな」 彼女の口調は軽やかだが、瞳の奥には緊張と期待が見え隠れしている。
一方、真司は腕を組みながら、地図をじっと見ていた。「ここ、わりと人通り多いよな。……ちゃんと音響とかセッティングしてもらえるんだろうか」「運営スタッフがやってくれるらしいけど、リハは前日の昼に一度だけできるって」 陽菜の言葉に、麻里が気づかれないよう小さく息をつく。限られた準備時間。うまくやり遂げるには、彼らの息をピッタリ合わせる必要がある。
そんな彼女たちの姿を見守りながら、颯太は静かに微笑んだ。先日の部活で生まれた新曲のフレーズが、頭の中を巡る。――あのワクワクするようなリズムを、街の雑踏に響かせたら、どんな景色が見えるだろう。
「じゃあ、曲順どうする?」 陽菜が問いかけた時、部屋のドアがノックされ、軽音部顧問の原田先生が顔を覗かせた。「お、みんな揃ってるな。実は商店街の会長さんから連絡があってね……」 先生の話によれば、当日は学生だけでなく、地元のアイドルグループやダンスチームなど、さまざまなパフォーマーが出演するらしい。人出も期待できる分、盛り上がりも大きいが、当然プレッシャーもかかる。
真司は大きく息を吐いてみせた。「……なんか、本格的だな」「だからこそ、私たちがちゃんと音を合わせなきゃね」 陽菜が笑顔で答え、麻里と颯太も同意するように頷く。熱を帯びた空気が、真司の胸にも少しずつ灯り始めていた。
その翌日曜日、彼らは学校の軽音部室で練習をしていた。窓の外は厚い雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうな夕暮れ。けれど、部室の中には熱気がこもり、外の冷たい空気を忘れさせるほどだった。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」 真司のカウントに合わせて始まるビート。続いて、陽菜のギターがメロディの始まりを告げる。麻里のベースがリズムを支え、颯太のキーボードが曲に深みを与えていく。
夏の屋上ライブ後に抱えた不安や葛藤も、こうして音を重ね合ううちに不思議とすべて音楽の一部になっていく。やがて演奏が止むと、四人は息を切らしながら、お互いの表情を見合わせた。「今の感じ、悪くなかったよね」 先に言葉を発したのは麻里だった。ベースのネックに手をかけながら、彼女の頬には少し紅が差している。「うん、いい感じ! 特に真司のドラムがすごく締まってた」 陽菜がそう言うと、真司はわざとそっぽを向きながらも、うれしそうに口元をほころばせた。
「……でも、もっと頑張んなきゃな」 その笑みが消える前に、彼は自分を戒めるかのように小さく呟く。「リハだって一回しかできないし、本番ミスったら取り返しがつかない」「真司……」 颯太が声をかけようとしたとき、外の空から大粒の雨が降り始めた。雨音が窓を打ち付け、部室のドアがわずかに揺れる。
ハロウィンイベント前日のリハーサル。予想以上に規模の大きいステージに、四人は少し圧倒されていた。特設ステージの背後には、ハロウィンらしくカボチャやコウモリの飾りがあしらわれたパネルが設置されている。夜にはステージライトが点灯し、さらに幻想的な雰囲気を醸し出すという。
「す、すごいね……こんな本格的とは思わなかった」 麻里が辺りを見渡しながらつぶやくと、陽菜は弦のチューニングを確認しつつ、小さく笑った。「そうだね。なんだか緊張してきたけど、ワクワクもする」
すると、スタッフが声をかけてきた。「次、そちらのバンドさん、リハ入れますよ」 ステージに立つと、足元には無数のケーブルが走り、マイクスタンドが何本も立っている。少し前までは校舎の片隅で音を鳴らしていただけの彼らが、今度は街のイベントの真ん中に立とうとしている――その事実が、思わず胸を高鳴らせる。
「じゃあ……やろうか」 陽菜が振り向く。真司はひとつ息を整え、スティックを握り直した。麻里はベースのコードを挿し、音のチェックを念入りにする。颯太はキーボードの鍵盤に指を置き、細かくリズムを刻むイメージを頭で繰り返す。
カウントを合図に、音が一斉に溢れ出す。昼下がりの薄曇りの空を切り裂くように、彼らのサウンドが広場へ響いた。ビル風に乗って遠くまで広がるかのようだ。まだ音響のバランスは完全ではないが、少しずつ手応えを感じる。スタッフが客観的にモニタリングをし、マイクやスピーカーの位置を調整してくれる。
一曲通して演奏し終えると、彼らは互いに視線を交わし合い、ほっと安堵の笑みをこぼした。完璧ではない。それでも、確かに希望を感じる音が今ここで鳴ったのだ。
そして迎えた本番当日の夕方。 広場にはたくさんの観客が集まり、屋台の明かりやステージのライトがハロウィンらしく賑やかなムードを作り上げていた。仮装した子どもたちの声や、楽しそうに談笑する大人たちの笑い声が入り混じる。 ステージ袖で待機する陽菜たちの心臓は、まるで一気に駆け出したかのように高鳴りを増していた。
「緊張……するね」 陽菜が苦笑いを浮かべると、真司はスティックを両手でクルクルと回しながら、黙って頷く。麻里は胸に手を当て、静かに深呼吸。颯太はキーボードの電源をチェックしつつ、空を見上げた。 ――微かに赤みを残した空が、やがて藍色に溶け込んでいく。その時間こそが今日のステージの始まり。
「次のステージは、高校生バンドのみなさんです!」 司会者の声に導かれ、四人はステージへと足を踏み出す。大きな照明が瞬き、観客の視線が彼らに集中する。遠くにはパナコのビル群が見えていた。あの夏の屋上で交わした思いが胸に蘇り、陽菜たちはそれぞれ心の奥で小さく息を整えた。
――最初のコードを鳴らした瞬間、全身を駆け抜けるあの感覚。 真司のドラムが切り裂くようにビートを刻み、麻里のベースがしっかりと地を支える。颯太のキーボードが鮮やかな音色で曲を彩り、陽菜のギターと歌声が全体を包み込む。
夕暮れから夜へ移ろう空の下、彼らの音は今まで抱えてきた不安や喜びをすべて混ぜ合わせ、ひとつの旋律へと繋げていく。観客の中には足を止めて聴き入る人たちの姿が見え、ステージの照明が彼らを優しく照らす。その光景は、まるで夏の終わりに見たオレンジ色の夕空をもう一度取り戻したかのような、儚くも力強いものだった。
最後のコードが鳴り終わったとき、広場には一瞬の静寂が訪れた。しかし、すぐに大きな拍手と歓声が彼らを包む。息を切らせ、汗が滲んだ額を拭いながら、四人は顔を見合わせて笑い合う。遠くに見える静岡パナコの灯りが、まるで今夜の成功を祝福するかのように優しく瞬いていた。
片付けを終え、楽器を抱えたまま広場を後にすると、深い紺色の夜空がそこにあった。肌に触れる風はもうだいぶ冷たく、秋の深まりを感じさせる。「やったな、みんな」 真司が小さくガッツポーズをすると、陽菜が微笑む。「うん……最高だった。あの屋上ライブの時と同じくらい、いや、それ以上かもしれない」 麻里は心の奥底まで震えるような充実感に包まれながら、声にならない想いを噛みしめていた。颯太は、そっと夜の空を見上げる。漆黒のキャンバスには星が見え始めている。
――自分たちはまた、確かに一歩前へ進むことができた。 どこかでまた迷ったり、すれ違ったりすることもあるだろう。しかし、音楽を通じて一瞬でも心を重ね合わせた彼らの絆は、これからも消えることなく続いていくはずだ。
静岡の街を見下ろすパナコの看板は、あの夏の日のようにオレンジ色に輝いている。夜風に乗って、かすかに聴こえてくるアンコールの拍手。やがて夜が静寂を広げ、再び日常の時間が訪れる頃、彼らの「パナコの青春」はまた新たなページをめくる。
遠くに響く風の足音に耳をすませながら、四人はそれぞれの帰り道を歩き出していった。――朝が来るころ、夜明けのレゾナンスがさらに鮮やかな音を奏でると信じながら。
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