パナコの青春 ― 風の足音
- 山崎行政書士事務所
- 1月22日
- 読了時間: 6分
あの夏の終わりに、静岡パナ

コの屋上で響いた音は、まだ彼らの胸の奥で鳴り続けていた。――高校二年生の秋。体育祭や文化祭の準備で賑わう学校には、少しだけ冷たい風が吹きはじめ、青春の足音があちこちから聞こえてくる。
バンドメンバーである陽菜(はるな)、真司(しんじ)、麻里(まり)、そして**颯太(そうた)**は、あの初ステージを成功させたあと、それぞれの暮らしに戻っていった。けれど、時間が経つほどに、あの夕焼け色のパルコ屋上で味わった一体感や高揚感が現実から少しずつ遠ざかっていくような感覚に襲われることがあった。
放課後の部室で、彼らは久しぶりに集まる。「次、どうする?」 ギターを抱えた陽菜が、静かに問いかける。 真司はスティックを指で転がしながら、眉間に皺を寄せて言った。「またどこかでライブをやりたいけど……オファーもないし、まずは練習だろ」 麻里はベースの弦を撫でながら、どこか浮かない顔をしていた。「そろそろ受験とか、進路とか考えなきゃいけない時期だし、練習も時間取りづらくなるよね」 その言葉に、颯太は少し胸が詰まる思いがした。高揚感のあとには、いつも現実という名の足かせがついてまわる。自分のキーボードはあの屋上で奏でた音よりも、日常の雑音に紛れつつあるようで、もどかしい。
ちょうどその時、部室の扉がノックもなく開かれた。顔を出したのは軽音部の顧問、初老の英語教師・原田(はらだ)先生だ。「お前たち、この前のパルコ屋上ライブで結構評判良かったみたいだぞ。商店街のイベントで演奏してみないかって話が来てる」
四人の間に、一瞬の静寂が走る。「商店街のイベント……?」 陽菜が真司の方を見やると、真司はスティックを握りしめたまま「マジかよ」と、低く呟いた。
原田先生の話によると、地元の商店街がハロウィンに合わせて開催する野外フェスで、地域の若者が出演できる枠があるという。ここ数年、地元を盛り上げようと奮闘している人々が企画しているらしく、「バンドの音」が聞きたいという熱のこもったオファーだった。「せっかくだから、やってみたらどうだ? お前たちの曲、俺も好きだよ」 そう言って原田先生は、どこか照れくさそうに微笑む。口うるさいだけの顧問かと思いきや、あの屋上ライブで心動かされたのだろう。
真司は少し迷った様子だったが、陽菜の目を見ると、微かに頷いた。「……やろう。せっかくのチャンスだ」 それを合図に、麻里も顔を上げる。「うん、私もやりたい。まだまだ下手だけど、もっと弾けるようになりたいし」 そして、颯太も強く頷いた。何かを始めないと、あの「青春のまばゆい瞬間」が色褪せてしまう気がする。
放課後、いつものように静岡パルコ近くのカフェに立ち寄った陽菜は、窓越しに見えるビルの谷間の空を見上げた。あの日の夕陽は、何か特別な魔法をかけてくれたようだったけれど、その魔法がいつまでも続くとは限らない。「でも、だからこそ練習しなくちゃね……」 そう呟く声は、以前よりも少しだけ明るい。
一方、真司は友人に誘われて学校のバスケコートにいた。夏が終わったとはいえ、動けばまだ汗ばむ季節。友人のフリースローを見守りながら、真司は自分のドラムのことを思い浮かべていた。「バンドとか、音楽とか……俺は最後まで責任を持てるんだろうか」 自信より不安が先に立つ。以前は自分を信じることが難しかったが、あの屋上ライブで得たものを無駄にしたくないという気持ちも確かにある。
麻里は放課後の図書室で、受験用の参考書を開いていた。親や先生からは「大学進学」の言葉ばかり浴びせられる。自分の将来を真剣に考えはじめたからこそ、バンドをどこまで続けられるのか分からない。けれど、屋上で感じたあの熱は、本物だった。「もっと上手くならなきゃ、皆に迷惑かけちゃうし」 そう思いながら、無意識に机の下でベースを弾くように指を動かしている自分を見つけて、少し苦笑した。
颯太は、休日になると街中を歩き回り、新しい音楽のインスピレーションを探していた。CDショップや楽器屋を覗き、時には路上ライブの演奏に耳を傾ける。自分のキーボード演奏を、もっと魅力的にするにはどうすればいいのか。悩みながらも、あの瞬間の輝きをもう一度味わいたいという気持ちが胸に広がっていく。
そして迎えた週末。ハロウィンイベントでの演奏を控えた初めての合同練習の日。高校の体育館の一角を借りて、四人は機材をセッティングしていた。「今日はバンド名も考えようよ。パルコでのライブの時は決まってなかったし」 と陽菜が言うと、真司が呆れたように肩をすくめた。「そんなの今さら必要か?」「いるよ! 大事なデビューみたいなものだから」 小さな言い争いに麻里と颯太が苦笑する。だけど、そのどこか弾んだ空気は、確実に彼らが同じ方向を向いている証拠だった。
演奏が始まる。真司の叩き出すビートに合わせて、麻里のベースが腰の芯に響くように絡み合う。陽菜のギターが軽やかなアルペジオを刻み、颯太のキーボードがメロディに色彩を与える。音の波が重なり合い、広い体育館の空間を満たしていく。まだまだ荒削りだが、確かな手応えがそこにあった。
「ねえ、今のフレーズ、すごく良かったよ」 曲の合間に、陽菜が颯太に声をかけた。「そ、そうかな? なんか手探りだったけど、イメージが少しだけ見えた気がする」「今のままでも素敵だと思うけど、もっと自由に弾いていいんじゃない?」「……うん、ありがとう」 颯太は照れくさそうに笑う。ほんの少しだけだけど、自分の音がバンドの芯に繋がっている感覚を得られた気がした。
次の曲に移ろうとしたその時、体育館の扉から風の冷たい流れが入り込んできた。秋が深まっている証拠だ。視線を外に向けると、夕陽に染まるグラウンドが見えた。その美しいオレンジ色に、ふとあの日の屋上ライブを思い出す。――あのとき感じた胸の高まりは、今も消えていない。
しばらく演奏を続け、全員が息を切らせる頃には、空はすっかり茜色を通り越して濃紺に溶けていた。「次はやっぱり新曲、やってみる?」 陽菜がそう提案すると、真司は一瞬困ったように視線を泳がせ、それからバツが悪そうに笑った。「……実は俺、さっき思いついたビートがあってさ。リズムだけ考えてみたんだけど……」 珍しく自分から提案する真司に、麻里と颯太は目を丸くする。「じゃあ、それに私のベース重ねてみるね」「僕はメロディの補助しつつ、コードとか探ってみる」 そうして、少しずつ新しい曲の輪郭が形作られていく。
部活終わりの空気が静まり返った校舎に、彼らの生み出す音が広がる。どこかぎこちなく、でも確かな希望と興奮を孕んだリズムとメロディ。それは、あのパルコ屋上で見せた彼らの「パルコの青春」の続きを予感させる、まるで夜空に差し込む一筋の光のようだった。
夜になり、校門を出ると、先ほどまで体育館で鳴らしていた音が頭の奥でまだ鳴り響いている。遠くには静岡駅前の灯りとパルコの看板が見え、街に降りた夜のとばりが柔らかく彼らを包み込んでいた。「よし、ハロウィンイベントまであと少し、頑張ろう!」 陽菜の言葉に、他の三人も力強くうなずく。あの屋上で感じたような、確かな充実感を再び得るために。
風が少し強く吹き抜け、彼らの背中を押すように通り過ぎていく。明日もきっと、新しい音を探して、すれ違う心を繋ごうとするだろう。その一歩一歩が、青春のページをめくる行為なのだと、彼らはまだはっきりと知らない。けれど、あの演奏の余韻と夕空の輝きだけは忘れられないまま、この夜もそれぞれの家路へと向かっていく。
静岡の夜風は、遠くの街灯を揺らし、やがて薄暗い校舎の窓を叩きながら、彼らの鼓動にそっと寄り添っていた。――続いていく青春を祝福するように。
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