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潮月の黙示

山崎行政書士事務所




序章 揺らぐ記念碑

 光浦海峡(こうらかいきょう)に面した古社・**桜浦神社(さくらうらじんじゃ)**の境内には、いまや二つの文学碑が並び立つ。一つは神事を詠んだ古い俳句の碑、もう一つは「あの惨劇」を語り継ぐために地元有志が建てたものだ。 旧暦元旦の未明に行われる「潮満神事(しおみつしんじ)」の夜――二度にわたり血塗られた殺人事件が起き、多くの人間が命を落とした。そして、犯人として浮上したはずの男・**合田誠二(ごうだ せいじ)**は、姿を消したのちに再び現われ、やがて不可解な最期を遂げる。 さらに、大手タクシー会社と陸運局幹部の癒着を疑われた事件では、新興企業・**緑陽交通(りょくようこうつう)**の社長・**笹川(ささがわ)**までもが怪死を遂げ、その裏にはより大きな権力の影があると囁かれた。 こうして、一連の「弁天島殺人」は未解決の断片を残したまま、表向きには沈静化したかのように見える。だが、人々の記憶が薄れるにつれ、奇妙な噂だけがまるで地下水のようにじわじわと湧き出していた。 ――「真の黒幕はまだ姿を潜めている」 ――「次なる“血”が流れる日は、間もないかもしれない」

 そして、前年の騒動から数か月。桜浦神社に新たな問題が生じる。海峡に近い境内の一角が地盤沈下を起こし、文学碑の土台が傾きかけているという。修復工事を依頼された町役場は、再び人々を呼び寄せることになる。それが、さらなる悲劇の誘い水になるとも知らずに。

第一章 新たなる招集

 警視庁捜査一課の都築(つづき)警部補は、かつてこの光浦の地で繰り返された事件を追い、そのたびに苦い思いを味わってきた。親友であり先輩刑事でもあった藤枝を失い、合田という得体の知れない犯人を掴みかけては逃し、さらに上層部からの圧力に屈する形で真相の核心には届かなかった。 あれからしばらく、都築は東京の通常捜査で忙殺される日々を送っていたが、ある日、地元署の若い刑事・**大迫(おおさこ)**から連絡が入る。 「実は桜浦神社で地盤沈下が起き、神社関係者や役場、地元有志が集まって調査をすることになりました。ところが、その話し合いのメンバーの中に、少し妙な人物が加わろうとしているんです……」 大迫曰く、“妙な人物”とは東京の大手建設会社「日邦(にっぽう)建設」の関係者らしい。地元の工事案件に首を突っ込み、何やら裏で動き回っているようだという。 「道路整備や公共事業の延長で、タクシー業界や陸運局とも繋がりがあるという噂もありまして……。都築さん、もしかしたら前回の事件と何か関係があるかもしれません」 この言葉に、都築は激しい既視感を覚える。大手企業や行政機関の癒着――再び、光浦の地で見えない力が動き出しているのかもしれない。

第二章 日邦建設・秋津(あきつ)という男

 都築は久しぶりに光浦を訪れ、大迫に案内されて桜浦神社へ向かった。社殿の裏手にはブルーシートが敷かれ、数名の作業員が傾きかけた文学碑を支えている。その脇で、地元役場の担当者や神社の神職とともに、ひときわ目立つ背広姿の男が立っていた。 神経質そうな面持ちの細身の男は「秋津孝介(あきつ こうすけ)」と名乗り、日邦建設の地方事業担当として派遣されてきたという。名刺を受け取った都築が「こちらでの事業範囲は?」と尋ねると、秋津は得意げに答える。 「この辺り一帯の地盤調査から始まり、周辺道路の再整備、そして神社を含む文化財の保全事業に協力する予定です。もちろん、地元住民の皆さまにも恩恵が及ぶよう、我々は最善を尽くしますよ」 一見もっともらしいが、都築には釈然としないものがあった。というのも、日邦建設は以前からタクシー会社や運送会社との協同プロジェクトを手掛け、いくつか不透明な契約の噂が取り沙汰されている企業として知られている。 「警部補殿、何か私にご不満でも?」 秋津は僅かに皮肉をこめた口調でそう言い、眼鏡の奥で鋭い眼差しを向けてきた。都築は「いえ、お仕事中失礼」と切り上げるが、腹の底に薄い警戒心が芽生えるのを抑えられなかった。

第三章 地下水脈と神事の秘密

 地盤沈下の原因調査が進む中、神社の古文書を保管している神職が都築にこんな話をする。 「実はこの桜浦神社の境内下には、古くから湧き水が豊富に流れる地下水脈があるのです。潮満神事が執り行われるのも、海水と混じり合うこの場所が神聖視されたからにほかなりません。ところが最近、周辺で大規模な工事をやったせいで、水脈が乱れている可能性がありますね」 地元の人間なら誰でも知っている“神事の秘密”ではあったが、近年の無秩序な開発でバランスが崩れたのは明らかだろう。しかも、その工事を受注していたのは、かの「緑陽交通」とも関わりの深い下請け企業だったという話が出始めている。 タクシー会社がなぜ道路工事に首を突っ込むのか、いまだによくわからない部分が多い。だが「運送ルートや観光の利便性向上」という名目で、さまざまな企業が絡み合っていることは想像に難くない。 「日邦建設も含めて、背後に一体どれだけの組織が繋がっているのだろうか……」 都築は、大迫とともにいくつかの工事資料を洗い直すことにした。

第四章 夜の惨劇

 そんな中、神社からほど近い場所にある旧道で、不可解な交通事故が発生する。被害者は地元のタクシー運転手・**曽根(そね)**という中年男性。彼の車は街灯の少ないカーブで大破し、発見時には既に息絶えていた。 だが、事故現場の状況を調べると、不可解な点が浮かび上がる。車のタイヤには鋭利な刃物で切り裂かれたような痕があり、ハンドル付近には「土砂・工事」などと書かれたメモが挟まれていた。 大迫は思わず声を上げる。「これはただの事故じゃありません。何者かが故意に仕組んだ“口封じ”かもしれない……!」 曽根はかつて緑陽交通の下請け的なタクシー会社で働き、合田誠二とも面識があったという。さらに最近は、日邦建設の一部工事で“闇のルート”があることを掴んでいたらしい。 「再び“殺人”の臭いが漂う。しかもタクシー会社関連で……」 都築は前回・前々回の悪夢を思い起こさずにはいられない。

第五章 怪文書と脅迫

 曽根の葬儀を前に、地元紙の記者が都築と大迫を訪ねてくる。記者は憔悴した表情で、一通の怪文書を差し出した。 「これ、昨日、私の机に投げ込まれていたんです。差出人不明ですが、どうやら曽根さんが掴んでいた情報を引き継ぐ形になってしまったみたいで……」 そこには、かすれた文字でこう書かれている。

「日邦建設、緑陽交通、陸運局――地下水脈の開発工事と古社の保全事業は表向きにすぎない。その下で何が行われているか、曽根は知りすぎた。さらに探るなら、おまえも“彼”と同じ目に遭うぞ。」

 都築は背筋が寒くなる。次々と人を消していく“何者か”が依然として存在し、今も暗躍しているとしか思えない。 「曽根が掴んでいた具体的な情報とは何だったのか……。緑陽交通や日邦建設、そして陸運局まで絡む闇の契約? それとも合田誠二に繋がる秘密か?」 都築と大迫は、今度こそ真相を突き止めると決意を固める。たとえ上層部や圧力があろうとも、もう後戻りはできない。

第六章 秋津の仮面

 怪文書と曽根の事故死を機に、都築と大迫は日邦建設の秋津を再び訪ね、厳しく追及を試みる。 「あなた方の工事計画で、不自然に予算が膨れ上がっている箇所がありますね。さらに、ここには緑陽交通と共同で交通インフラ整備を進める書類も……」 問いただされても、秋津は表情一つ崩さない。むしろ余裕さえ感じさせる口調で返してくる。 「私たちは正規の手続きを踏んでいます。そもそも警察がそこまで詮索する権限はあるのですか? もし風評被害を招くようなことをなさるなら、こちらも然るべき措置をとらせていただきますよ」 都築は、その冷ややかな対応に苛立ちを覚えつつも、「まるで何か“大きな後ろ盾”を確信しているかのようだ」と感じた。秋津一人を問い詰めても埒(らち)があかない――。 一方で大迫は、秋津が着用している時計や身に着けているカフスに、かつて合田が所有していたブランドと同じものを見つける。偶然かもしれないが、彼らの裏の繋がりを想起させるには十分だった。

第七章 再び呼び寄せられる潮満神事

 桜浦神社の地盤沈下対策は思うように進まず、神社関係者らは「いっそ潮満神事を延期するべきでは」という声を上げ始める。しかし、地元観光協会は「長年続く伝統行事を止めるわけにはいかない」と反対する。 結局、最低限の安全策を講じた上で、今年も旧暦元旦に神事を執り行うことになった。例年通り夜通しの見物客が訪れ、境内は混雑必至。そこに、今まさに不穏な気配が漂っている――都築は予感に襲われる。「またしても、この神事の最中に何かが起きるのではないか……」 前回・前々回の事件でも、深夜の喧騒にまぎれて殺人が行われた。今回も同じ手口が繰り返される危険がある、と大迫も警戒を強める。 「ただ、今度は俺たちも心得てます。神事が始まる前から、監視体制を敷きましょう」 とはいえ、闇の勢力が“別の場所”で事を起こす可能性も十分ある。都築たちは神社周辺だけでなく、旧道や弁天島付近にも捜査員を配置するよう手配を進める。

第八章 深夜の落盤

 そして迎えた旧暦元旦の未明。桜浦神社には今夜も白い狩衣をまとう神官たちが海中へ入り、潮満神事の厳かな儀式が始まろうとしていた。カメラマンたちのフラッシュが海辺を照らし、観光客たちは夜明け前の暗闇を興奮気味に見つめている。 都築と大迫は境内の裏手で不審者を警戒しつつ待機していた。すると突然、地を揺るがすような衝撃音が響き渡り、警戒線を張っていた巡査から「崖の一部が崩落しました!」という報告が入る。 崖崩れの起きた地点には、以前から日邦建設の工事資材が置かれていた。雨も降っていない夜に、なぜこんな大規模な落盤が起こったのか。まさか、これ自体が何かの“仕掛け”では――。 都築と大迫が駆けつけると、崩れた土砂の山から、一人の男の腕らしきものが覗いていた。作業員が懸命に掘り起こすと、そこには背広姿の男の無残な姿が……。 顔は土砂にまみれて判別しづらかったが、そばに落ちていた名刺入れから、その男が秋津孝介であることがわかる。 「秋津が、こんなところで……殺されて埋められたのか、それとも事故か……?」 都築の背筋に嫌な汗が流れる。もし事故なら彼が深夜にこの地点に来る理由がない。おそらく何者かに呼び出され――あるいは脅され――、口封じのために始末されたに違いない。

第九章 暗闇に飲み込まれる資料

 秋津の遺体が発見された現場からは、ある金属製のアタッシュケースも掘り出された。しかし、それは鍵を壊されて空っぽになっていた。おそらく“誰か”がケースの中身を奪った後、崩落(または爆破)を起こして秋津を土砂に葬ったのだろう。 アタッシュケースに入っていたのは何か――「おそらく、日邦建設や緑陽交通、陸運局関連の極秘資料では」と大迫は推測する。秋津がそれを盾に“黒幕”と交渉しようとしたのかもしれないが、逆に殺されたのだろう。 都築は神事が行われる海辺を見やりながら、二度までも血に染まった潮満神事の夜の光景と、今回の秋津の最期とが重なって見える。「合田誠二や笹川と同じように――最後は何者かに葬られる運命だったのか……」 現場検証が進むにつれ、落盤を誘発させた形跡も見つかり始めた。工事のダイナマイト跡のような痕だ。これこそ決定的に“他殺”を示唆する証拠だが、肝心の犯人像までは掴めない。

第十章 行方知れずの黒幕

 秋津殺害で捜査は一気に動くかに見えたが、やはり背後にいたはずの“黒幕”は、巧妙に姿を隠していた。警察上層部は「事故の可能性も排除できない」と曖昧なコメントを出し、メディアも工事現場の安全管理を叩く程度で、その裏にある巨悪には言及しない。 結局、日邦建設上層部も書類紛失を主張し、緑陽交通は「うちとは無関係」と全面否定。陸運局は従来の姿勢を貫き、誰も処罰されずに事件はまたしても漂流していく。 都築と大迫は唇を噛みながら、桜浦神社の地盤沈下がとりあえず安定したという報せを聞く。あの文学碑は傾きながらも、どうにか倒壊は免れたらしい。しかし、その横にはまたしても新たな花束が捧げられていた。秋津や曽根への追悼の意味だろうか――。 「二度あることは三度、三度あることは四度――。結局、闇は依然として根深いままか……」 大迫が呟くと、都築も「恐らく、もっと多くの人間や組織が、この海峡を巡る利権を分け合っているのだろう」と答える。 光浦海峡には今日も静かな波が寄せては返す。かつての合田誠二も、笹川も、そして秋津までも呑み込み、形すら残さない深い水面――。 都築は最後に神社の鳥居を振り返る。夜明けを迎えるころ、白い狩衣をまとった神官たちが、潮騒の中をゆっくりと戻ってくる姿が見えた。神聖な儀式のはずが、毎年この夜に流れる血の連鎖を断ち切れないまま、また一日が明けていく。 しかし都築には、もはやこの場で為す術がなかった。大きな力に抗い、真実に迫ろうとしても、次々と資料は闇に溶け、関係者は潰されていく。 事件は終わっていない――けれど、今はそれを立証する手立てがない。悔しさと無力感を胸に、都築は警察車両に乗り込む。朝陽が海峡に反射し、まるで血のように赤く染まった水面が遠ざかっていった。

あとがき

 三度、潮満神事の夜に血が流れました。 前作「潮影の残響」で描かれた利権の暗部は、さらに奥深くまで浸透していたのです。日邦建設や陸運局との結び付き、そこに過去の合田誠二や緑陽交通が絡んでいた可能性がほのめかされながらも、証拠はことごとく闇に呑まれてしまいました。 松本清張作品の多くがそうであるように、“真犯人”あるいは“真の黒幕”がはっきり浮かび上がることなく、重要な手掛かりや関係者が次々に消されていく――そこには、巨大な社会構造の不条理や、人間の欲望と恐怖が映し出されています。 しかし、本当に救いがないのかというと、そうとも言い切れないのが人間社会の複雑さでもあります。都築や大迫のように、たとえ歯が立たぬままでも、事件と向き合い続ける者がいる。地元の人々もまた、自分たちの暮らしと伝統を守ろうと奔走する。 何らかのきっかけで、いつかその闇に微かな風穴が開く可能性も、ゼロではないでしょう。波間に沈んだ文書の断片、焼かれて消えた契約書、そして息絶えた者たちが託そうとした“証言”が、いつの日か浮かび上がるかもしれません。 終わりなき闘いの予感を残しつつも、物語はひとまず幕を閉じます。夜明けの潮騒は、清浄な儀式を包み込みながら、またしても人間の愚かしさと悲しみを飲み込んでいく――それが、光浦海峡に根付いた“潮月の黙示”なのかもしれません。

(了)

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