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山崎行政書士事務所

許可証の嘘




序章:湿った夜の訪問者

 深夜、ざあざあと雨の降る音が、行政書士・**八木澤(やぎさわ)**の事務所の窓を叩いていた。梅雨も明けないまま、じめじめとした空気が部屋に溶け込み、古い書棚の隅では、黴のような不快な臭いすら漂っている。  その夜、八木澤が机に向かい書類を整理していると、ドアを叩く音がした。時間は午前一時を回ったところ。こんな宵闇に誰が訪ねてくるというのか。  おそるおそるドアを開けると、湿った空気を伴って、漆黒のスーツに身を包んだ男が立っていた。顔立ちは精悍だが、眼光の奥にどこか影を宿している。彼は名刺を差し出しながら、低い声でこう言った。

「お忙しいところすみません。私、**鎌田(かまた)**と申します。ナイトクラブの経営を始めようとしておりまして……風俗営業許可の手続きを依頼したいのです」

 この不意の来訪が、のちに八木澤の人生を暗黒へと誘う扉になろうとは、このとき思いもよらなかった。

第一章:不審な申請書類

 翌日。雨の合間から曇り空が見え始めた頃、鎌田は再び八木澤を訪れ、ナイトクラブの営業許可申請に必要な書類を次々と机に並べていった。今や八木澤の事務所には、夜の酒と香水の匂いが微かに混じる。  だが、書類を確認するうちに、八木澤の眉間に深い皺が刻まれた。申請に必須の身分証明書や建物の図面、過去の営業経歴を示す書類などがどれも微妙に齟齬を来している。虚偽書類の典型的パターン……そう断定するには僅かに根拠が足りないが、妙な胸騒ぎを抑えきれない。  さらに、建物の所有者情報に「橘興産」なる不動産名義がある。聞いたことのない会社ではないが、巷では暴力団との絡みが噂されていた。八木澤は唇を噛みながら、鎌田へ問いただした。

「鎌田さん、ここに記されている橘興産とは……どんなご関係なんでしょうか?」 「ああ、そちらから物件を借りているだけですよ。深くは関わらない方がいい。……というか、先生には関係のないことです」

 そのとき、まるで背後の気配がするかのように、事務所の外で誰かが歩く足音が聞こえた。じっとりとした空気が、さらに重さを増していく――。

第二章:過去の闇

 鎌田は表向きはナイトクラブを新規開店しようとしているが、その実態はどうもおかしい。そこで八木澤は、手持ちの人脈を使い、鎌田が以前に関わったクラブを調べ始めた。すると、「かつて別の店を違法営業で潰した」という噂が出てくる。スタッフを酷使し、警察が入ったときには脱法的なサービスが横行していたらしい。  さらに、探りを入れるうち、以前の店で奇妙な事件があったという話を知人から聞かされた。それはある女性従業員の“自殺”。ただし、本当に自殺なのか、他殺なのか――真相は闇の中。  夜の闇に取り込まれそうな気分になりながら、八木澤は手帳にその疑念を書き込む。この申請が通れば、また同じ悲劇が繰り返されるのではないか。けれども、依頼者の申請を断るには法的根拠がいる。今の時点では犯罪性を確定できないのがもどかしい。

第三章:暴力団の圧力

 それから数日後、八木澤の事務所に、予期せぬ訪問者が現れた。強面で無愛想な男二人。名刺は差し出さないまま、言葉少なにこう告げる。

「あんたが鎌田の申請手続きをやってる行政書士か。……うちの親分がな、お前さんに余計なことを嗅ぎ回らないよう、言っとけってさ」

 どうやら、橘興産の背後にいる暴力団組織だろう。どす黒い脅しの空気が、事務所の狭い空間を圧迫する。八木澤は一瞬息が詰まりそうになるが、何とか声を絞り出した。

「私は……依頼を受けた以上、法の範囲で手続きを進めるだけです。余計なことなどしていません」

 男たちは鼻で笑い、**「そうかい、ならいいが……くれぐれも変なことをするなよ」**と吐き捨てて出て行った。事務所に残る静寂が、かえって薄気味悪い。陰気な夕暮れが窓の外から忍び込み、書棚の影をいっそう濃くしていく。

第四章:死体発見

 翌朝早く、警察から一本の電話が八木澤のスマホに飛び込んできた。声は沈痛な響きを帯びている。

「あんたが関わってるらしい、ナイトクラブ経営者の鎌田って男なんだが……実は今朝、遺体で見つかったんだ。ビルの地下倉庫で倒れていてね」

 思わず肘掛け椅子を蹴立てるほどの衝撃。どうやら鎌田は他殺の可能性が高いという。ナイトクラブ開店を目前に、何が起きたのか。 警察が捜査しているうちに、鎌田が暴力団とのトラブルを抱えていたこと、また過去の違法営業の件で別の恨みも買っていたことが浮上。さらに、警察は八木澤が彼に不審な書類について問い詰めていた事実にも興味を示す。

「あなたが最後に鎌田と会ったのはいつだ? 申請書類に不備があったという話だが……何か思い当たることは?」

 まるで自分も容疑者の一人に数えられているような感覚。濡れた闇が八木澤の心にまとわりつき、息苦しささえ覚える。

第五章:二つの死

 捜査が進む中、さらに恐ろしい事件が起こる。橘興産の社長である橘が、首吊り遺体となって発見されたのだ。表向きは自殺とされ、遺書めいた走り書きが残されていたという。そこには「これ以上、組織の言いなりにはなれない」とだけ書かれていたらしい。 続けざまの死——鎌田の他殺と、橘の不可解な自殺。どちらも闇に根を張る事件だが、ひとつの絵図が浮かんでくる。もしかすると、橘は鎌田を殺すよう命じられたか、あるいは彼自身が追い詰められて自殺に至ったか……。 揺らめく夜風が、どこまでも陰鬱な影を伸ばす。まるで二人の死が、八木澤の背後に取り憑き、何かを警告しているかのようだった。

第六章:偽りの許可証

 この頃、警察から八木澤へと一枚の書類が提示された。鎌田が所持していた“許可証”のコピーとされるものだが、警察は「これは本物じゃない」と指摘する。 どうやら鎌田は、過去に自分が経営したクラブでの違法営業を隠すために、偽造した風俗営業許可証を使っていたという。そこには橘興産の名前も登場し、背後の暴力団組織が関与していたことはほぼ確実だ。 そして、鎌田は八木澤に改めて「正規の許可を取りたい」と願っていた。しかし、すでに闇の網を脱することは叶わず、むしろ組織から「偽りの許可でやっていた事実を黙っていろ」と脅され続けていたのではないか……。 「ゆえに彼は殺されたのか。それとも……」 黙したままでは真実に到達できない。陰鬱な静寂の中で、八木澤は必死に法の糸口を探ろうとする。しかし、当事者たちはもう死人となって語れない。

第七章:代償

 最終的に、警察が事件をどう処理したか——鎌田の殺害は未解決のまま捜査が続き、橘の自殺だけが公式の結末として扱われた。暴力団との繋がりが取り沙汰されても、決定的な証拠には届かない。 八木澤もまた厳しい選択を迫られた。法の範囲で依頼者を助けようとした結果、二人の死者を出したのだから。彼らの店がどんな形であれ、合法的に営業できる道を整えるのが行政書士の役目——そう信じてきたのに、その正義が彼らを救えなかったという現実。 事件後、八木澤の事務所には陰鬱な空気がずっと留まっていた。客があまり来ない昼下がりには、鎌田や橘の死に顔が脳裏をよぎり、胸をえぐられる。「私の仕事は本当に人を助けることだったのだろうか……」 ときどき、得体の知れない黒塗りの車が事務所近辺をうろつくのを目にする。まだ暴力団の目が光っているのかもしれない。今さら身に危険を感じても遅い。すでに事件は闇の中に葬り去られ、真実を明らかにする術などないのだから——。

終章:闇に沈む街

 ビル街の黄昏時、雨が降り始める。八木澤は傘もささずに歩道を歩く。行き先は、かつて鎌田が借りるはずだった店舗跡。いまは貼り紙が破れかけ、誰も入らず埃だけが積もっている。 まるでそこだけが時を止められたように、湿った風が吹き込む空っぽの空間。事件の痕跡はか細いが、確かに人の血と涙が染み込んでいる気がしてならない。 胸に重くのしかかる罪悪感。殺された鎌田の無念、自ら命を絶った橘のやるせなさ。許可証という形だけでは人の闇は救えないし、法の光は及ばない場所がある。 八木澤はひとつ息を吐き、こみ上げるやり切れなさを押し殺す。雨音がしとしとと路面を叩き、街灯がぼうっと滲んだ光を放つ。誰もいない夜道——まるで亡者が潜むような暗がり。 ——許可証の嘘は、二人の命を奪い、何も語ることなく沈んでいった。 陰鬱な雨の匂いに、八木澤はひとつ身震いしながら、ただ虚空を見つめるしかなかったのである。

 (了)

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