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山崎行政書士事務所

防災と記憶




第一章:灰色の空の下で

 それは夕刻にもかかわらず、まるで夜の帳が早くも下りかけたかのように薄暗い空だった。 私が行政書士の肩書を負いながらも、この避難所へ赴いたのは、町全体が大規模な自然災害に見舞われた直後のことだった。倒れかけの電柱、粉々になった瓦礫の上を靴底で踏むたび、暗澹たる心持ちに襲われる。 避難所とされた体育館では、虚ろな目をした被災者たちが座り込んでいる。天井には蛍光灯がかろうじて点き、冷たい空気が床を這うように流れている。 「必要な手続きを……手伝いに参りました」と私が声をかけると、皆一様に疲労と困惑を宿したまなざしを向ける。温もりのない、うすら寒い空気が、私の背筋をぞくりと震わせた。

第二章:老人との邂逅

 そこに、一人の老人――白髪の頭をしわ深い手でなぞるように触れながら、黙り込んで座っていた。どこか燃え殻のように、魂が抜けている印象を受けた。 支援物資の配給を呼ぶ声が体育館の一角で響いていても、彼は耳を貸さない。まるで空中を見ているかのような眼差し。 私は思わず近づき、**「大丈夫ですか?」**と問いかける。すると、か細い声が返ってきた。 「こんな災害……いや、昔も似たような……わし、あのとき家族を……」 その途切れ途切れの言葉に、不思議な底のない悲しみが感じられた。

第三章:傷ついた町と記憶の微光

 この避難所では、私は“行政書士”として災害支援の手続きを担う。被災者が必要とする補助金の申請、身分証の再発行、仮住居の調整――すべてが混乱とともに舞い込む。 書類の束を抱えながら、私は何度も体育館の出入り口を往復する。だが、どうしてもあの老人の姿が脳裏を離れない。 ふと見ると、床に敷かれたブルーシートの上で、老人は目を閉じている。私は彼の傍へそっと座り、「ご家族がいたのですか?」と恐る恐る問う。 すると彼は、ぽつりぽつりと語り出す。「昔……大きな台風で、家が崩れ、わしは娘を……救えなかった」――声は掠れており、その裏には言い切れぬ罪悪感がにじむ。外ではまだ風が吹き、屋根を叩く雨音がかすかに響いている。

第四章:恐怖が呼び起こす影

 老人の記憶が次第に周囲にも伝わり、まるで蔓が伸びるように波紋を広げる。**「今度の災害で、あの家族はどうなった」「もしかして私も同じ目に?」など、他の被災者の心にも昔の傷や恐怖が蘇るのか、ざわざわとした不安の声が絶えない。 支援に入っている若いボランティアは、「いや、今回はそう大きくないですから……」など言ってみるが、被災者たちはそれを聞いても落ち着きを取り戻さない。 私は書類を整えながらも、「過去に囚われた人間を、法律の手続きだけで救えるのか?」**という思いに駆られる。外から見れば、災害支援の制度や法令を案内するのが私の務めだが、果たしてそれがこの老人の心の闇を晴らす術になるのかどうか、疑わしく思えるのだ。

第五章:避難所の灯、そして幻影

 夜が深くなると、体育館の照明は節電のため薄暗くなり、人々は仮設の毛布にくるまって眠りをとる。風にあおられるドアが時折ガタリと鳴り、眠れぬ者の吐息が隅にまで滞留している。 私は老人を訪ねる。「大丈夫ですか? 今夜は寒いから、毛布をもう一枚……」 しかし、老人は虚空を見つめ、「家族が……娘が……」と呟くだけだ。その声は悲哀に満ち、聞く者の胸を抉る。 やがて彼の周りに座り込んでいる他の被災者たちも、不自然な静寂の中で彼の声に耳を澄ましながら、また自分たちの過去のトラウマを呼び覚まされるかのようだ。法律や制度の言葉が、ここではあまりに無機質に感じられる。

第六幕:記憶と法の狭間

 翌朝、雨が上がり、灰色の空がようやく薄い光を透かす。私が書類を抱え、被災者に説明を続ける。「給付金の申請はこうしなければならない」「この書式に記入し、印鑑を……」など、まるで機械的に繰り返す自分の声を耳にする。 そんなとき、ふと目に留まるのが、老人が空を見上げている姿。空はまだ暗い雲を残しながら、僅かに晴れ間を覗かせている。 私は心中で**「この人は、この災害をきっかけに、失われた娘を求めているのかもしれない。だが、法という枠組みは、現実的な補助だけが提供されるだけ……」**と考える。 法が整えば被災者は助かる――それは表向き真実だろう。しかし、この老人が囚われているのは“記憶”の深み。過去に失ったものがいくら法で救われるはずもなく、私の書類がその哀しみを癒す術はないのだ。

第七幕(エピローグ):落陽の光に揺れる思い

 夕暮れ時、また灰色の雲が低く広がり、赤紫の陽光が避難所の窓を染める。私は最後の手続きを済ませ、ロビーに立って一息ついた。 と、あの老人がゆっくりと近づいてきた。彼の瞳は、相変わらず遠くを見つめている。 「あのとき、もしわしが家にいれば……娘は生きていたかもしれん。今度の災害で、その娘の幻が見えるようになったんじゃ……」 彼の声はかすれており、背は丸まって、まるで人形のようにたどたどしい動作。私は何も言葉を返せないまま、その姿を見つめた。 外は陽が沈み、町が漆黒に溶けていく。誰もが法に救いを求め、しかし法は全てを救わない。「ならば、私は何をしているのだろう」――その疑問が、私の心を黒い虫のように這い回る。 夜の闇が深く降りるころ、風が一層冷ややかに頬を刺す。**“法の外”では、人々の記憶と苦しみがうずまき、私はただそれらを眺めるしかない。日の落ちた避難所に、どこからともなく声なき声が漂い、胸を締めつける。 まるで、その声が「法など何になるのか」**と嘲笑っているかのようで、私の足元に長く延びた影が震えながら揺れていた。

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